新労農党
しんろうのうとう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
4.16事件後、左翼の運動は活動不振に陥った。これを打破するには共産党が再建されるまで過渡的に独自の指導部が必要との観点から、大山邦夫らは合法左翼政党の樹立を目指して1929年(昭和4)8月新労農党樹立を提案した。共産党が「プロレタリアの党は共産党唯一あるのみ」と猛反対する中、同年11月1日結党した(「労農党」と称す、委員長大山、書記長細迫兼光)。1930年総選挙で党首の大山を当選させたが、左右両翼からの攻撃を受け伸び悩み、同年8月党内の解消運動にも揺さぶられ、1931年7月全国大衆党との全国労農大衆党の結成に進んだ。尼崎では総同盟と組合同盟が激しい主導権争いを演じる中、労働組合内にはさしたる影響力を持てなかった模様である。