方面委員
ほうめんいいん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
第1次大戦後の社会事業の一つとして設けられたもので、地域の事情に通じたものが任命され、貧困家庭の調査・相談・指導にあたり、職業の周旋、更生資金貸付、金品の施与などを行なった。尼崎市では県下にさきがけて1923年(大正12)4月に設けられ、全市を19方面に区分し52人の名誉職の方面委員を委嘱した。市の予算では実効のある対策がとれなかったので、1927年(昭和2)2月方面事業助成会をつくり寄付金1万円余をもって救済資金とした。同年7月県下一斉に方面委員制度が実施されたので当時在任の委員39人は県方面委員となった。1932年2月方面委員会の事業として東難波の市営住宅を利用し尼崎養老院が開設されたが、1940年には久々知に新築移転された。1946年10月、方面委員制度が廃止されて民生委員と改称され、尼崎市でも11月に新たに民生委員会が発足した。
参考文献
- 『兵庫県方面委員川辺郡委員会三周年史』1932
- 『兵庫県民生委員のあゆみ』1978