日本共産主義者団
にほんきょうさんしゅぎしゃだん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1937年(昭和12)12月5日、団長春日庄次郎、副団長高江洲重正ら5人が杭瀬字神田の沖縄県出身の飲食業、島袋友市宅に会合して結成、人民戦線術の右翼日和見主義的な歪曲の克服を唱え、共産党再建の準備活動を展開しようとする。翌6日には、沖縄県人会機関紙『大阪球陽新報』記者の山城善光も島袋宅で高江洲の協力要請を承諾した。さらに杭瀬字木ノ元在住(1938年5月には金楽寺字八反田に転居)の古波蔵堯栄、難波〔なにわ〕中通5丁目在住の島袋松三ら沖縄県出身者も協力、彼らの自宅を団機関紙印刷場所に提供した。1938年2月の高江洲の沖縄県への帰郷後も3月下旬に古波蔵宅で総会を開き、同年1月に出獄の松本惣一郎も加えて幹部会が新発足した。幹部会は古波蔵宅のほか、武庫川堤防、甲山〔かぶとやま〕々麓などでも開かれた。関西学院大学新聞部員らを中心に学生サークル橡〔どんぐり〕会が結成されたほかには、市域および周辺地域での組織活動はみられないまま、1938年9月13日の一斉検挙にあい、翌1939年春にかけて橡会にも検挙が拡大した。
参考文献
- 佐藤欽一『日本共産主義者団の研究』思想研究資料特輯67 1939 司法省(復刻、1975)