日本板硝子尼崎工場
にほんいたがらすあまがさきこうじょう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
尼崎工場の端緒は、1934年(昭和9)大阪の老舗徳永硝子と三井物産の出資によって創設された、資本金150万円の徳永板硝子製造(株)である。西向島町の工場(敷地面積4万6,000m2)は翌1935年1月から、徳永善四郎がアメリカから持ち帰った機械特許により型板ガラス・網入りガラスの製造をはじめた(1月火入れ、2月17日型板ガラス製造開始)。つづいて資本金を225万円に増資、フルコール式設備を増設して1938年から普通板ガラスの本格的生産をはじめるが、折から日中戦争の拡大とともに統制強化、資材入手難などにより業績は振るわず、1941年3月25日、日本板硝子(株)に合併、同社尼崎工場となる。翌年からは、引き継いだ従業員616名で操業が再開されるが、採算が取れず同年12月には20人余の整理要員を残して全面休止。軍需用の白板ガラス製造の試みもあったが成功せず、1944年11月住友化工材工業(株)に譲渡され、尼崎工場は消滅した。
戦後の1948年、徳永硝子は同工場を買戻して1950年再び板ガラスの製造をはじめたが、1953年尼崎工場の従業員700名を全員解雇して閉鎖、板ガラス部門を日本板硝子に譲渡した。2年後の1955年には徳永硝子(株)が日本硝子(株)に吸収合併され、1880年(明治13)創業の老舗も姿を消した。
参考文献
- 『日本板硝子五十年史』 1968