日立製作所尼崎工場

ひたちせいさくしょあまがさきこうじょう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  尼崎工場は1937年(昭和12)5月、国産工業(株)を日立製作所が吸収合併し、同社安治川鉄工所を取得して発足した。同鉄工所は1915年(大正4)に大阪で創業され、1936年末から1937年はじめにかけて尼崎市西高洲町に移転・操業していたもので、50トン以下の天井走行クレーンの専門工場であった。太平洋戦争開始直後は軍用の受注で繁忙をきわめたが、1943年以降は資材や電力・食料の不足から生産は停滞していた。

  神崎分工場は1940年に、日立製作所が全株を取得した、日本エレベーター製造(株)の神崎工場であった。この工場は1929年4月小田村潮江字東大寺(現潮江1丁目)に開設され、民間用エレベーターを製造していたが、戦中は空母の艦内用エレベーターや軍需省むけの爆弾運搬車が生産品目であった。

  両工場とも空襲による被害は少なかったものの、尼崎工場は1944年9月と1945年9月の2度にわたる台風の浸水被害を受け、復旧のめどが立たず工場は休止された。神崎分工場は、過度経済力集中排除法の適用によって(株)日立製作所から分離、1949年8月日立工事(株)と合併、同社尼崎工場となった。1956年11月1日、日立工事から分離独立した日立機電工業(株)が発足し、12月11日の臨時株主総会において本店所在地を尼崎市潮江(日立工事尼崎工場所在地)とすることを決定、翌1957年2月1日、日立工事尼崎工場および大阪営業所を受け継いで営業を開始した。1970年4月、同社は大証2部に上場した。

執筆者: 名和靖恭

  潮江の日立機電工業本社工場は敷地が狭く拡張の余地もなかったため、1959年7月下坂部字丸橋に東工場を新設、1969年10月には本社工場を尼崎工場、東工場を尼崎東工場と改称した。尼崎工場は尼崎市の市街地再開発事業に協力して尼崎東工場に統合することになり、1976年から1977年にかけて本社と工場施設を順次潮江から下坂部に移転、廃止された尼崎工場にかわって尼崎東工場を尼崎工場と改称した。2006年4月1日、日立機電工業は日立プラント建設(株)、(株)日立インダストリイズ、(株)日立製作所電機グループの一部と事業統合して(株)日立プラントテクノロジーとなった。2013年4月1日には(株)日立製作所が(株)日立プラントテクノロジーを吸収合併し、尼崎の工場施設(下坂部3丁目)は同社傘下のインフラシステム社尼崎事業所となった。

執筆者: apedia編集部

参考文献

  • 『日立機電三十五年史』 1992
  • 『ものづくり半世紀 日立機電のあゆみ』 2006
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