日紡尼崎工場争議

にちぼうあまがさきこうじょうそうぎ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1918年(大正7)6月尼崎紡績と摂津紡績が合併して大日本紡績が発足した。翌1919年7月同工場労働者によって友愛会大阪連合会尼崎支部が結成され、その後同労組は組合同盟日本紡織労働組合に組織された。1929年2月深夜業廃止にともなう労働条件低下に反対するスト、1930年10月全労役員解雇に反対する争議があったが、1931年2月組合加盟を勧誘した女工3名を解雇したのに端を発し同労組は即時復職ほか17項目の要求を掲げて争議に入った(従業員1,631人うち女子1,264人、争議参加者153人うち女子103人)。会社は要求を拒否、争議団は争議日報の発行、演説会の開催等で残留職工への働きかけを強めたが、警察の干渉が厳しく、大阪市内に籠城した女工たちが連れ戻され、抗議の労働者大会に中止命令が出されるなか、藤岡文六らの指導部も総検束された。3月1日争議団は貴・衆議院に会社と警察の人権蹂躙を文書で告発した。結局3月6日当局の強制調停によって争議団員130人の解雇承認、解雇手当合計2万円で妥協した。

執筆者: 久保在久

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