旧尼崎紡績本社事務所
尼崎紡績の本社事務所として、1900年(明治33)旧尼崎町の辰巳町(現東本町1丁目)に建てられた、市域ではめずらしい明治期の洋風建築。竣工は同年10月29日。1918年(大正7)に本店営業所が大阪市内に開設されると尼崎工場事務所となり、その後一時は他の用途に転用、1959年(昭和34)に日紡記念館(6月18日竣工式)、1964年ニチボー記念館となり、1969年の会社合併によりユニチカ記念館となった。延床面積571.36m2、建築面積337.05m2、敷地面積3,027.25m2の煉瓦造り2階建て(一部平屋建、屋根は寄棟瓦葺、小屋組は木製洋小屋)で、そのデザインから設計者は日本人と考えられ、明治期に関西で活躍した建築家・茂庄五郎(しげしょうごろう、1863-1913)が設計した可能性が指摘されている。
2007年(平成19)11月30日、経済産業省が日本の産業近代化を支えた全国575か所の建造物や機械などを「近代化産業遺産」として認定したと発表し、市内ではユニチカ記念館が東洋精機本館事務所などとともに「阪神工業地帯発展の歩みを物語る」遺産群として認定された。さらに2008年3月28日、ユニチカ記念館は兵庫県の景観形成重要建造物等に指定された。2020年12月23日、老朽化のためユニチカ(株)が解体を検討していたユニチカ記念館について、同社と協力して適切な保存活用方法を検討するよう尼崎市に求める日本建築学会会員(個人)の請願を、尼崎市議会が採択した。尼崎市がユニチカ(株)と協議した結果、2022年10月31日、記念館の保存のため建物をユニチカ(株)が市に寄附し、敷地は同社から市が買い取ることなどを定める両者の間の覚書を締結した。その後、2023年3月7日に市とユニチカ(株)が敷地の売買契約、及び建物の寄付の受入を行ない、旧尼崎紡績本社事務所(前ユニチカ記念館)として市が管理していくこととなった。この建物はイギリス積による煉瓦造となっており、煉瓦の刻印に関する研究の結果、大阪府の岸和田・堺など泉州地方で製造された煉瓦が使用されていることが確認された。