昆陽寺
こんようじ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
伊丹市寺本2丁目(旧武庫郡児屋郷)にある高野山真言宗の寺院。「こやでら」ともいう。山号は崑崙山。「行基年譜」によれば、731年(天平3)行基は摂津国河辺郡山本村(現宝塚市山本付近)に崑陽施院を設置したとあり、また、別に河辺郡崑陽里に崑陽布施屋があったと記している。昆陽寺は前者の施設に近接して建てられたと考えられるが、現在の当寺の位置(武庫郡児屋郷)からは離れており、施院と布施屋の位置関係については混乱があるようである。当寺は鎌倉時代以降に盛んになる行基信仰の、この地方における中核的な存在であったが、1579年(天正7)織田信長の兵火に遭い堂塔を焼失した。のち再建されて現在に至っている。主な建造物は山門・本堂(薬師堂)・観音堂・行基堂・主水堂などがあり、うち山門・観音堂は江戸時代初期の建築で、県指定文化財になっている。
参考文献
- 『伊丹市史』第1巻 1971
- 吉田靖雄『行基と律令国家』 1987 吉川弘文館