昆陽施院
こやせいん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
「行基年譜」にみえる崑陽施院(「延喜式」雑式には行基の混陽院とみえる)で、731年(天平3)、摂津国河辺郡山本村に行基が設置したとある。行基が惸独田〔けいどくでん〕150町の収穫をもって孤(親のない子)・独(子のない親)に施した施設(日本後紀、弘仁3年・8128月癸丑条)をもっていたので施院と称したのであろう。その位置は「年譜」のままならば現在の宝塚市山本付近となるが、施院に近接して建てられたと思われる昆陽寺の所在地武庫郡児屋郷(現伊丹市寺本)から離れている。「年譜」には別に行基の崑陽布施屋(運脚夫や役民を収容する施設)の位置を河辺郡崑陽里と記しているが、山本・児屋両地域は近接しているため、施院と布施屋の所在地に混乱があったのであろう。あるいは施院は山本・児屋両地域にまたがる施設であったかも知れない。
参考文献
- 『伊丹市史』第1巻 1971
- 「行基・鑑真」『日本名僧論集』 1 1983 吉川弘文館
- 村川行弘「行基絵伝にみられる『猪名寺孤独園池図』について」『総合科学の諸問題』 1987 大阪経済法科大学出版部