昆陽池
こやいけ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
伊丹市域の北寄りにあり、奈良時代の僧行基が造築したと伝えられる池。かつては上池・下池の二つから成っていたが、現在では下池は埋め立てられている。この池が古くから水鳥の渡来地として知られ、古歌などにもしばしば詠まれてきたので、伊丹市はここに昆陽池公園を設け、植物・昆虫・鳥類の保護育成を行なって、市民の憩いの緑地帯としている。近年の地質調査に結果、ここが昆陽池陥没帯〔かんぼつたい〕と呼ばれる低地に当たることが明らかとなった。したがって、平時には北方山麓より流れ出る河水を懽漑用水として利用し、洪水時には池を遊水空間とする優れた構想で築かれたことがわかった。また、この付近は西国街道と大阪・尼崎方面から宝塚に向かう有馬道との交差点に当たるため、古くから宿駅もあったろう。古来多くの人びとが昆陽池を題材に多く詩歌を残している。
参考文献
- 『伊丹市史』第1巻 1971