1877年
(明治10年より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 18世紀 - 19世紀 - 20世紀 |
年表 10年紀: | 1850年代 1860年代 1870年代 1880年代 1890年代 |
周辺の年: | 1874年 1875年 1876年 1877年 1878年 1879年 1880年 |
明治10年
- 1月11日 - 兵庫県は1月4日に政府が出した「地租を減ずる詔書」にもとづき、地租を100分の3から2.5に引き下げることを告示した。
- 1月20日 - 中在家町の田中七平は、当年の清酒醸造高252石に加えて50石余の増石を尼崎の酒造大行司および戸長を経て兵庫県に出願した。
- 2月7日
- 3月7日 - 兵庫県の地租改正掛は、改正地価減額の嘆願が相つぐので、地価調査促進のため5年後に再改正する旨を通達した。
- 4月4日 - 兵庫県は地価の5か年据置きを理由に時友村などの減租嘆願を却下した(地租改正)。
- 4月10日 - 第11区(現尼崎市域東部)区長は、地租改正後5か年間は地価修正嘆願を行なわない旨の請書を返却してほしいと兵庫県に申し出た。
- 6月12日 - 旧城郭内について兵庫県の新税施行伺が裁可され、旧城郭内の土地が尼崎町に合併された。
- 6月15日 - この年の2月に起こった西南戦争の死傷者救護のため組織された博愛社(日本赤十字社の前身)創立に加わった桜井忠興が、博愛社事務所として東京麹町富士見町の屋敷を提供し、資金一千円を寄付した。
- 7月2日 - 生津村は地租改正の承服にあたり、6か年目の地価修正ほかを兵庫県に請願した。
- 8月 - 田能小学が下食満村に移転して御園小学校と改称された。
- 10月20日 - 尼崎の本咲利平次・小島廉平ら商人・士族の発起人10人は、107人の同盟株主の連署を得て資本金10万円の国立銀行創立願いを大蔵卿あてに提出した(国立銀行設立計画)。
- 12月6日 - 富島・衛正・神崎・弘明の4小学を統合して小墾田〔おばただ〕小学校が設置され、下坂部に校舎が新築された(現市立下坂部小学校の創立)。
- 12月22日 - 兵庫県は県下摂津5郡を67に区分する小学校区を布達した(学区)。
- 12月25日 - 下坂部村に地租改正の改正地券が交付された。その後他村にも順次交付された。
- この年 - 上ノ島村に公木小学校が開設された。