1895年
(明治28年より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 18世紀 - 19世紀 - 20世紀 |
年表 10年紀: | 1870年代 1880年代 1890年代 1900年代 1910年代 |
周辺の年: | 1892年 1893年 1894年 1895年 1896年 1897年 1898年 |
明治28年
- 4月8日 - 小嶋燐寸製造所が、日清合資会社の別所村工場を譲り受けて設立された。
- 4月29日 - 旧尼崎藩知事桜井忠興が岡田山別邸で没した。
- 5月4日 - 尼崎町は赤痢・コレラの流行にさいして予防事務所を開設した。
- 5月28日 - 日清戦争の凱旋祝賀会が旧城跡において催され1,000余人が参列、この後5日間祝賀のため町内は休業となった。
- 7月 - 尼崎貯蓄銀行が尼崎銀行の重役の発起により設立された。
- 8月1日 - 尼崎尋常高等小学校が琴城尋常高等小学校と改称した。
- 10月10日 - 尼崎町が5月4日に開設した赤痢・コレラの予防事務所が閉鎖された。開設から閉鎖までの間に発生したコレラ患者は134人、うち死亡者101人であった。
- 10月18日 - 阪鶴鉄道の創業総会が開催され、会社として正式に発足した。
- 10月 - 尼崎融通会社は尼崎共立銀行と改称した。
- 12月25日 - 尼崎町醤油醸造業組合は、この年の製造所17か所・醸造高1万2,300石など町内醤油製造業について町役場に報告した。
- この年 - 小田村役場が下坂部の小墾田〔おばただ〕尋常小学校(現下坂部小)東側の旧戸長役場から、神崎駅(現JR尼崎駅)南側の長洲地内に新築移転した。