1899年
(明治32年より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 18世紀 - 19世紀 - 20世紀 |
年表 10年紀: | 1870年代 1880年代 1890年代 1900年代 1910年代 |
周辺の年: | 1896年 1897年 1898年 1899年 1900年 1901年 1902年 |
明治32年
- 5月20日 - 道意新田村から尼崎町・西成郡に至る3郡の甘薯作農民は、甘薯出荷値段の低落防止、問屋・仲買との取引きなど9か条の同業者同盟規約を結んだ。
- 5月20日 - 甘薯作農家が組織する初島新田などの尼組および布屋新田などの川北組は、阪鶴線尼崎駅から京都方面その他への運送について旭合資会社と契約を結んだ。
- 5月30日 - 武庫村長に西村久市郎が就任した。
- 6月8日 - 藻川堤防が決壊し、園田村の田畑山林など265町余が被害をうけ、稲苗が2日間浸水するなどしたため、村民が隊を組んで村長に堤防の堰止め工事の実施を迫った。
- 6月14日 - 園田村は、兵庫県の藻川堤防工事にさいし、競争入札による工事には不安があるとして村が請負うことを稟請した。
- 7月7日 - 摂津電気鉄道が阪神電気鉄道と改称した。
- 7月10日 - 尼崎町民2人が大物村田町への遊廓設置免許を兵庫県に出願した(遊廓設置問題)。
- 7月15日 - 徐々に路線を延伸していた阪鶴鉄道が、尼崎福知山間全線開通を実現した。
- 7月18日 - 尼崎町会は、築地町への遊廓設置願いに対する川辺郡長諮問に、満場一致で賛成の答申を議決した(遊廓設置問題)。
- 10月28日 - 園田村は、地価の減額修正にともなって歳入予算に不足を生じるとして地租制限外課税の許可を国に申請した。
- 11月15日 - 尼崎の新田地帯の永小作権保有者210人は、民法上の永小作権に加えて新田の上砂所有権を保護してほしいと政府に請願した(畑砂慣行)。
- 12月28日 - 武庫村長に岡治龍蔵が就任した。