1905年
(明治38年より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 19世紀 - 20世紀 - 21世紀 |
年表 10年紀: | 1880年代 1890年代 1900年代 1910年代 1920年代 |
周辺の年: | 1902年 1903年 1904年 1905年 1906年 1907年 1908年 |
明治38年
- 1月1日 - 琴浦育児院が、軍人遺族救護義会の依頼により出征軍人遺児の受託の広告を機関紙に掲載した。
- 4月8日 - 私立として認可されていた尼崎夜学校が、尼崎町立として改めて認可された。
- 4月12日 - 阪神電鉄が大阪出入橋-神戸三宮間で開業した。
- 5月16日 - 尼崎町立実業補習学校が尼崎高等小学校に付設された。
- 5月27日 - 尼崎町会は、旧尼崎城趾の保存をはかり、そこに公園を設置する許可を国や兵庫県に求めると決議した。
- 6月1日 - 別所町に中埜酢店(ミツカン)の出張店工場が開業した。
- 8月28日 - 尼崎港に兵庫県の浚渫船明石号が回航され、港内南半部の航路の拡張・浚渫を行なった。翌年には北半部も完成した。
- 9月14日 - 尼崎町長に桜井忠剛が就任した。
- 11月1日 - 尼崎町会は大阪鉄工所に対する町税特別免除を決議した。
- 11月20日 - 辰巳橋が工費を兵庫県と大阪府で折半して新設された。
- この年 - 渡辺硝子製造所が設立され、旧城内に工場を建設した。
- この年 - 川辺郡では、帝国義勇艦隊義金の寄付が1人当り30銭割り当てられた。