1906年
(明治39年より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 19世紀 - 20世紀 - 21世紀 |
年表 10年紀: | 1880年代 1890年代 1900年代 1910年代 1920年代 |
周辺の年: | 1903年 1904年 1905年 1906年 1907年 1908年 1909年 |
明治39年
- 3月3日 - 原敬内相が、郡役所を存置しての郡制廃止を議会に提案した(不成立)。
- 4月28日 - 阪鶴鉄道の関係者らが箕面有馬電気鉄道(翌1907年6月1日箕面有馬電気軌道と改称)の認可を申請した。
- 5月1日 - 阪神電鉄で、車掌・運転士らが労働時間短縮など待遇改善の陳情を会社に拒否され、同盟罷業を行なった(阪神電鉄争議)。尼崎での史上初の労働争議と考えられている。
- 5月23日 - 尼崎町は大阪・神戸などでのペストの流行にさいしてネズミの買上げを開始し、年内に2万7,000匹を買上げた。
- 6月9日 - 大洲村でペスト患者1人が確認された。この年、尼崎町内の患者数は5人を数えた。
- 8月24日 - 尼崎町内市街地における塵芥箱の設置その他掃除と塵芥収集の方法が定められた。
- 9月28日 - 小田村長に増井喜一郎が就任した。
- 10月1日 - 伊丹警察署尼崎分署が尼崎警察署に昇格した。
- 10月25日 - 宇治川電気が創設された。
- 10月26日 - 尼崎紡績は、鹿児島県知覧町から15人の女子労働者を採用した。
- 12月18日 - 大庄村長は、浜田村内への人造肥料工場設立願書(同年7月24日付)を兵庫県に進達するにあたって、付近住民の反対が強いので不許可を希望すると副進した。
- この年 - 築地町に設立された尼崎産銅所から銅精錬作業にともなう有毒ガスが発生し、付近住民の物議をかもした(尼崎町で最初の公害問題)。