1873年
(明治6年より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 18世紀 - 19世紀 - 20世紀 |
年表 10年紀: | 1850年代 1860年代 1870年代 1880年代 1890年代 |
周辺の年: | 1870年 1871年 1872年 1873年 1874年 1875年 1876年 |
明治6年
- 1月7日 - 川辺郡第11区長は、戸長・副戸長が率先して結髪をやめるよう通達した。
- 1月8日 - 兵庫県の地券掛役人2人が中在家町の民家にきて、尼崎町内の調査を開始した。
- 1月14日 - 明治維新政府は、陸軍が使用する施設を除いて全国の城郭を廃する廃城命令を発した。これにより尼崎城も廃城となり除却されることとなった。
- 1月24日 - 上食満村は、吉沢九右衛門の所有田畑を質物として伊丹小学校貸付会社から小学校基本金180円を借用した。
- 2月20日 - 学制にもとづく現尼崎市域初の小学校である常松小学が常松村に開設された(現市立武庫小学校の前身)。
- 2月 - 兵庫県は徴兵令を布達した。
- 3月17日 - 三反田村に保性小学が開設された(現市立立花小学校、9月15日とする史料もある)。
- 3月25日 - 政府は、旧藩時代の藩債処分のため新旧公債証書発行条例を布告した。
- 4月4日 - 兵庫県の捕亡吏の職務が兵庫裁判所に移管された。
- 5月2日 - 今北村新家に東今小学が開設された。
- 5月17日 - 守部村に守部小学が開設された。
- 5月28日 - 兵庫県は開墾のために初島の尼崎藩下屋敷跡地を払下げる入札を行ない、入札代価の可否を大蔵省に伺った。
- 5月
- 6月6日 - 尼崎藩士族25人が、諸藩の士族で編成される大阪鎮台兵の補充兵として入営した。
- 6月10日 - 兵庫県は、尼崎町共有の鷺島新田の鍬下年季および共有解消の方法について政府に伺いを出した。
- 6月
- 兵庫県裁判所は西宮に区裁判所を設置した。
- 旧尼崎藩関係者の族籍整理が完了し、給禄をうける者は華族1人、士族780人となった。
- 7月15日 - 久々知村に弘明小学が開設された。
- 7月17日 - 神崎村に神崎小学が開設された。
- 7月20日 - 田能村に田能小学が開設された(現市立園田小学校の前身、10月開設とする史料もある)。
- 7月22日 - 兵庫裁判所は、警察機関として尼崎・西宮・三田に逮部出張所を設置し、尼崎市域の川辺郡部分は尼崎、武庫郡部分は西宮の出張所管轄とした。
- 7月28日 - 地租改正法・同条例が公布された。これにより、地租改正の準備作業が実施されることになった。
- 9月15日 - 築地町に月池小学が開設された。
- 9月
- 兵庫県は地方民会開設をうながすため「兵庫県民会議事方法撮要」を各町村に回達した。
- 尼崎藩札のうち銭札1貫文札が新貨と交換され、16万貫文余が回収焼却された。
- 9月 - 官設鉄道武庫川鉄橋が落成した。
- 10月2日 - 宮町に琴浦小学、別所町に城東小学、西大島村に両島小学がそれぞれ開設された。
- 10月15日 - 中在家町に橘園小学、西新田村に西新小学、今北村に今北小学がそれぞれ開設された。
- 10月19日 - 塚口村に塚口小学が開設された。
- 10月20日
- 10月 - 上坂部村に板田小学、戸ノ内村に戸ノ内小学(現市立園和小学校の前身)、小中島村に田能小学小中島分校が開設された。
- 11月1日 - 東新田村に東新小学が開設された。
- 11月4日 - 杭瀬村に富島小学が開設された。
- 11月13日 - 中浜新田の什長・副戸長が、道意新田から申入れのあった両村合併の件は断ったと第7区長に届け出た。
- 11月14日 - 大物町に大物小学が開設された。
- 11月15日 - 兵庫県の地租改正掛は、地租改正告諭のため県官が巡村すると川辺郡の各区長に通達した。
- 11月26日 - 兵庫県は地方民会開設促進のため「民会議事章程略」および「町村会議事心得」を公布した。
- 12月4日 - 大蔵省は兵庫県の申請をうけて、小学校校舎として正業館建物の無代払下げを認めた。
- 12月25日 - 中長洲村に衛正小学が開設された(現市立長洲小学校の前身)。
- 12月26日 - 野間・東富松・上ノ島の3か村は、東富松村円受寺への私立愛真小学開設を兵庫県に出願した。