春日大社
かすがたいしゃ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
奈良春日山の山麓に鎮座。768年(神護景雲2)藤原永手が氏寺として創建、平城京鎮護の神として官祭にあずかる。祭神は四座。摂関政治をはじめた藤原良房が859年(貞観元)に春日祭を春秋二季制として春日社を大拡充、春日詣などを始めた。氏寺興福寺は神仏習合を説いて1136年(保延2)に春日若宮祭を創設、摂関家を仰ぎ春日社興福寺の一体化組織を完成、慈悲を神徳とする春日大明神信仰を高揚、大和を春日神国化し、全国の摂関家領や春日社興福寺領に鎮守として春日社を分祀、春日社神人を派遣した。国家宗廟の伊勢・八幡と並んで春日社は三社と称せられて、国民的信仰を獲得する。尼崎地方に春日神領の設定や春日社の分祀がさかんになった。神供の魚貝をもとめた浜崎荘や社頭読経料所に神崎関が寄進されたのが有名。なお、田能村などでは鎮守春日社が郷村の神社となり現在に至る。