春日神社
かすがじんじゃ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
藤原氏の氏神であり、古代には同氏一族の居住した地域や所有の荘園、さらには春日社領・興福寺領に勧請〔かんじょう〕された。また中世以降は、源平藤橘の家系重視の傾向から藤原氏系の武士所領に広く勧請され、神仏習合の進行もあって全国的に分布した。尼崎市域への勧請は、春日神領散在の地であったからとされるが(尼崎志2)、古代の神領というよりも、中世的勧請の残存と考えられよう。近世の1838年(天保9)「巡見使通行御用の留」(『尼崎市史』第6巻)では下坂部・田能・常松に春日大明神の鎮座がみられ、現在の下坂部伊居太神社・田能春日神社・常松春日神社に対応する。このほか、1879年「明治12年神社明細帳」(『地域史研究』第6巻第3号)は宮町貴布禰神社・大物町大物主神社・今北大島神社・生津磐長姫〔なまづいわながひめ〕神社に、境内末社として春日神社を記録しており、神社整備による合祀〔ごうし〕以前には各地域の郷内に春日神社が散在した様子を伝えている。また、富松神社本殿が春日造りであるのも、かつて春日社末社であった名残であろうと考えられている。
参考文献
- 『兵庫県神社誌』 1937 兵庫県神職会
- 『尼崎志』第2篇 1931 尼崎市