1946年

昭和21年より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀:19世紀 - 20世紀 - 21世紀
年表 10年紀:1920年代 1930年代 1940年代 1950年代 1960年代
周辺の年:1943年 1944年 1945年 1946年 1947年 1948年 1949年

昭和21年

  • 1月12日 - 私立住友工業学校が大阪から尼崎市内北難波町(現東難波町)の住友金属工業甲東青年学校跡に移転した。
  • 1月20日 - GHQの指令により、特殊航空兵器・日本内燃機住友プロペラが第1次賠償工場に指定された。
  • 1月21日 - 尼崎郵便局従業員組合が結成された。
  • 1月25日 - 関西ペイント労働組合が結成され、翌1月26日には職員労働組合も結成された。
  • 1月 - 三菱電機伊丹製作所労働組合が結成された。
  • 2月2日 - 尼崎市は、文部次官通達にもとづく尼崎市戦災孤児等集団合宿教育所を兵庫県有馬郡道場村(現神戸市北区道場町塩田)に開設し、戦災孤児等を収容した(尼崎学園)。
  • 2月11日 - 大同製鋼尼崎労働組合が結成された。
  • 2月12日 - 天然痘流行により全市一斉臨時強制種痘が始まった。占領軍軍政部の指令により9月までに19万5,000人余りに対して強制接種が行なわれた。
  • 2月19日 - 市の教員が難波国民学校講堂に集まり、尼崎市教員組合を結成した(同年6月、尼崎市教職員労働組合と改称)
  • 2月28日 - 尼崎市職員組合が結成された。
  • 3月29日 - 食糧難のため神田北通の文化住宅で一家4人が無理心中した。
  • 3月 - GHQの指令により尼崎市は転入抑制指定都市となった。
  • 4月1日 - 杭瀬地区戦災地復興期成同盟が杭瀬市場を復興し55店舗を開店した。
  • 4月5日 - 阪神電鉄労組は待遇改善要求を拒否され同14日まで経営管理に入った(生産管理闘争)。
  • 4月10日 - 戦後初の衆議院選挙が実施され、兵庫県第1区から山下栄二が当選した。
  • 4月16日 - 日本労働組合総同盟尼崎地方協議会が結成された。
  • 5月1日
  • 5月11日 - 尼崎製鉄は製鋼圧延部門を分離して尼崎製鋼所を設立した。
  • 5月20日 - 関西配電の争議に際して労働組合が停電ストを行なった。
  • 6月20日 - 建物疎開のため閉館していた尼崎市立図書館が、城内国民学校の教室を仮使用して事業を再開した。
  • 8月16日 - 復興土地区画整理事業の対象地として尼崎市内の主要戦災罹災地10地区が決定された。
  • 9月 - 尼崎市は戦災復興区画整理事業実施都市に指定された(復興土地区画整理事業)。
  • 10月1日
  • 10月8日 - 市制実施記念日のこの日、尼崎高等女学校において市制実施30周年記念・復興祭式典が催され、復興展覧会が開催された。
  • 10月24日 - 神田商店街30店舗が開店した。
  • 10月31日 - 園田村会尼崎市との合併動議をめぐって混乱し、衣笠滋蔵村長の辞職にまで発展した(園田村の合併)。
  • 10月 - 日本共産党阪神地区委員会が設立された。
  • 11月3日 - 日本国憲法(新憲法)発布記念式典が尼崎高等女学校の講堂で行なわれた。
  • 11月14日 - 中央商店街の落成式が行なわれた。
  • 11月20日 - 八木林作市長公職追放となり辞職し、川島伝三助役が市長代理を務めることになった。
  • 11月21日 - 尼崎市園田村の合併調印式が尼崎市役所で行なわれた(園田村の合併)。
  • 12月23日 - 尼崎市農地委員会委員の候補者16人全員が無投票で当選した。
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