1952年
(昭和27年より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 19世紀 - 20世紀 - 21世紀 |
年表 10年紀: | 1930年代 1940年代 1950年代 1960年代 1970年代 |
周辺の年: | 1949年 1950年 1951年 1952年 1953年 1954年 1955年 |
昭和27年
- 1月17日 - 猪名寺廃寺跡の第一回発掘調査が開始され、19日まで実施された。
- 2月12日 - 尼崎市は売春等取締条例を施行し、市内の特殊飲食街(特飲街=売春街)取り締まりを強化した。
- 4月1日 - 市立明倫中学校が市立昭和中学校から分離して設置された。
- 4月8日 - 尼崎緑化協会役員総会が開かれ、戦災や水害からの復興のシンボルとして、ジェーン台風などの高潮被害後も花を咲かせる姿が見られたキョウチクトウが市花に選定された。
- 4月12日 - 破壊活動防止法案に反対して塩野義製薬・日本シャフト・日本スピンドル・東洋精機各労働組合が24時間ストを行なった。
- 5月17日 - 大同鋼板が343人の希望退職者募集を含む合理化案を労働組合に提示した。6月下旬には労組側が波状ストライキに入り、7月にかけて第一次大同鋼板争議となった。
- 6月17日 - 兵庫県から尼崎市に移管された武庫川六樋水利施設の開樋式が市立武庫小学校で行なわれた。
- 7月3日 - 経済的弱者のための総合授産施設として、尼崎市立厚生館が杭瀬に開館した。
- 7月29日 - 日米行政協定により旧住友金属工業プロペラ製造所跡への駐留軍車輛工場移駐が決まったが、尼崎市と尼崎市議会が協議して反対することを決定した。
- 9月1日
- 尼崎市は「失業対策事業就労者等の労働保険に関する条例」を公布した。
- 市立北難波小学校が市立難波小学校から分離して設置された。
- 市立常光寺小学校が市立杭瀬小学校から分離して設置された。
- 9月3日 - 改進党尼崎支部が結成された。
- 9月14日 - この日から16日までと21~23日の6日間、第1回市営モーターボートレースが尼崎競走場で開催された。同時に臨時駅として阪神電鉄尼崎センタープール前駅が開設された。
- 10月1日 - 地方公営企業法施行により尼崎市水道部が独立採算の公営企業となった。市運輸事務所も同様に公営企業化され、12月に交通部に改編された。
- 10月5日 - 第1回の尼崎市教育委員選挙が行なわれた。
- 10月16日 - 日本労働組合総評議会尼崎地方評議会が結成された。
- 10月 - 大同鋼板は神崎工場と条鋼工場を休止し、富士製鉄から原料供給を受けることになった。
- 11月1日 - 尼崎市教育委員会が発足した。
- 11月22日 - 近松門左衛門の命日であるこの日、近松生誕300年を祝う大近松300年祭が久々知の広済寺で催された。
- 11月26日 - 大阪特殊製鉄所が大阪チタニウム製造と改称した。
- 12月1日 - 相談しやすく親しみやすい保健所を実現すべく、全国初の全職員女性の塚口保健所が開設された。
- 12月5日 - 市民館(希望館)が、生活保護法にもとづく厚生施設として元浜町1丁目に新築、再開された。
- この年 - 尼崎婦人会が尼崎市連合婦人会と改称した。