1953年
(昭和28年より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 19世紀 - 20世紀 - 21世紀 |
年表 10年紀: | 1930年代 1940年代 1950年代 1960年代 1970年代 |
周辺の年: | 1950年 1951年 1952年 1953年 1954年 1955年 1956年 |
昭和28年
- 1月7日 - 市立成徳小学校が市立大庄小学校・西小学校から分離して設置された。
- 1月20日 - 関西労災病院が稲葉荘に開院した。
- 2月3日 - 大覚寺文書に1840年(天保11)に奉納されたいう記録があり、その後途絶えていた大覚寺身振狂言が復活し、節分会に奉納された。
- 2月28日 - 五月会を発展的に解消する組織として尼崎市同和事業協議会が設立された。
- 3月 - 金融・税務など中小企業向けの相談・指導業務を行なう事業者団体として、阪神商工共済会が結成された。
- 4月
- 5月9日 - 神戸大学工学部を武庫川近くの市有地約4万坪に誘致するため、尼崎市当局者らが大学当局者と会談した(神戸大学工学部誘致問題)。
- 6月3日 - 神戸刑務所尼崎拘置支所が浜田崇徳院に設置され、収容が開始された。
- 6月10日 - 大同鋼板が経営合理化のため484人の指名解雇を発表したのに対して、労働組合側は翌11日以降職場放棄、ストライキで応じた(大同鋼板争議)。
- 6月23日 - 大同鋼板労組は483人の指名解雇を含む会社最終提案を受諾し闘争体制を解いた(大同鋼板争議)。
- 7月
- 稼働を休止していた東高洲町の大高洲塵芥焼却場が修復され、操業を再開した。
- 積水化学工業尼崎工場が潮江に開設された。
- 8月2日 - 徳永硝子の工場閉鎖反対争議が解雇585人で妥結した(日本板硝子尼崎工場)。
- 8月 - 村上かまぼこ店本社工場が西長洲に完成した。
- 10月1日
- 尼崎市の市民保険制度(市独自、任意加入の健康保険制度)が開始された。
- 兵庫県立尼崎病院塚口分院が森字野通(現南塚口町6丁目)に開院した。
- 10月24日 - 日本労働組合総評議会(総評)兵庫県地方評議会が結成された。
- 11月8日 - 尼崎市中央卸売市場が玉江橋東詰で業務を開始した。
- 12月4日 - 尼崎市不就学児童対策協議会が貧困家庭子女救済のためチューリップ運動を起こすことに決定した。
- 12月10日 - 出屋敷駅(阪神電鉄)東側の踏切から北に200mの区間に、尼崎市内初の商店街鉄骨アーケードが完成した。
- この年 - 労働組合の映画サークル運動の協議会として、全尼崎労働者映画協議会(尼労映)が発足した。
- この年 - 1948年結成の尼崎歌人連盟が尼崎歌人クラブと改称し、詩人・頴田島〔えたじま〕一二郎が代表を務めた。