1962年
(昭和37年より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 19世紀 - 20世紀 - 21世紀 |
年表 10年紀: | 1940年代 1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 |
周辺の年: | 1959年 1960年 1961年 1962年 1963年 1964年 1965年 |
昭和37年
- 1月16日 - 大阪堂島地区電話局尼崎分局が尼崎電話局と改称した。
- 2月4日 - 全国的な電話市外局番整備のなか、大阪局の市外局番が06になったことにより、大阪局区域である尼崎市の市外局番も06となった(市外局番06)。
- 3月30日
- 3月31日 - 常光寺西ノ町1丁目(現常光寺1丁目)の市立尼崎病院(伝染病院)が廃止された。
- 4月1日
- 6月25日 - 尼崎市は、市制50周年記念事業として尼崎市史編集事業を実施すべく「尼崎市史編集事業規則」を公布・施行し、編集事務局を設置した。
- 6月28日 - 阪神地方の会員が多く参加・投稿する文学同人誌“AMAZON”が尼崎市内で創刊された。
- 7月7日 - 日本シポレックス工業が設立された。
- 7月22日 - 尼崎市内6消防団(中央・小田・大庄・武庫・立花・園田)を統合して、尼崎市消防団が結成された。
- 8月1日 - 水堂古墳の発掘調査が始まった。
- 8月23日 - 日本住宅公団西武庫団地の第1回入居が始まった。
- 10月1日 - 東本町の東部下水処理場が一部完成し、下水処理を開始した(下水道)。
- 10月8日 - 市制記念日のこの日、東七松町1番地(現東七松町1丁目)に建設された村野藤吾設計の市役所新庁舎の落成式が行なわれた。
- 10月13日 - 尼崎市の城内・常松両地区出張所が設置された。
- 10月15日 - 北城内から東七松町1番地(現東七松町1丁目)に移転した市役所の新庁舎が開庁した。
- 10月25日 - アメリカ資本のスーパーマーケット「セーフウェイ社」の尼崎市内北部出店計画に反対する尼崎商店連盟の決起大会が尼崎商工会議所において開催され、市内商店主約400人が参加し、大会後商店街をデモ行進したと報じられた。
- 11月10日
- 中央商店街東町会が造った中央商店街入り口から132mのアーケードが完成し、落成式が行なわれた。この結果、中央・三和・出屋敷商店街約1km、7商店街がアーケードで接続されることになった。
- 三反田芦原町(現東七松町2丁目)に、青少年活動の拠点施設として市立青少年会館が竣工した。
- 11月14日 - 尼崎市長選挙が行なわれ、薄井一哉が当選した(3選)。
- 11月30日 - 東七松町1番地(現東七松町1丁目)に建設され、すでに開庁して業務を始めていた市役所新庁舎が、この日をもって竣工した。
- 12月1日 - 阪神電鉄は第二阪神国道(現国道43号)建設工事にともない海岸線(出屋敷-高洲間)の営業を廃止した。
- 12月12日 - 尼崎市長に薄井一哉が就任した(3期目)。
- この年 - 猪名川改修工事の一環として、神崎川に合流する猪名川下流部を戸ノ内の東から西に移す戸の内捷水路計画の工事が完成した。