1974年
(昭和49年より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
世紀: | 19世紀 - 20世紀 - 21世紀 |
年表 10年紀: | 1950年代 1960年代 1970年代 1980年代 1990年代 |
周辺の年: | 1971年 1972年 1973年 1974年 1975年 1976年 1977年 |
昭和49年
- 1月30日 - 園田競馬場で大穴レースが不成立になったことからファンが騒ぎ、投票所などが焼かれて売上金1,000万円が奪われた。
- 2月17日 - 競馬場と環境浄化を考える会の住民たちは、園田競馬場の将来における廃止を求めることを決議した。
- 3月1日 - 尼崎市教育教育委員会が『尼崎市戦後教育史』を刊行した。
- 3月5日 - 戸ノ内など園田東地区のコミュニティ施設である園田東会館が、市役所園田東出張所を併設して戸ノ内町2丁目にオープンした。
- 3月16日 - 阪神電鉄は国道線上甲子園-西灘間をこの日を最後に廃止した。
- 3月30日 - 園田競馬場でレースのトラブルと主催者側の不手際をめぐってファンが騒ぎ、スタンドなど建物に火災が発生する事態となった。
- 4月1日
- 5月14日 - 三市一町合併調査協議会が三市一町行政協議会と再改称した(三市一町合併問題)。
- 5月21日 - 本興寺方丈、長遠寺本堂・多宝塔が国指定重要文化財に指定された。
- 5月29日 - 灘神戸生協が住民の了解を得ないまま立花店の工事に着手したため、住民約20人は現場に座り込んで抗議した。
- 7月13日 - 女性のための学習と憩いの場として、尼崎市立勤労婦人センターが南武庫之荘3丁目に開館した(現・市立女性・勤労婦人センター、通称女性センター・トレピエ)。
- 7月17日 - 関西新空港が泉州沖に建設されることが決定した。
- 7月20日 - 常吉字赤田(現常吉1丁目)に、市内初の地区会館として建設された武庫地区会館が開館した。
- 8月17日 - 栗山前田町(現栗山町2丁目)の県立尼崎勤労青少年福祉寮敷地内に建設された市立青少年センターが、青少年の研修・スポーツ・レクリエーション施設として開館した。
- 8月24日 - 尼崎競艇で八百長疑惑をめぐり、一部のファンが騒ぎ投石・放火する事態となった。
- 9月9日 - 尼崎商業活動調整協議会が設置された。
- 9月30日 - 関西電力尼崎第一発電所が廃止された。
- 10月3日 - 尼崎市は市立地域研究史料館の設置および管理に関する条例を公布した。
- 10月4日 - 尼崎市が蓬川水系の5企業と水質汚濁防止協定を締結した。
- 10月18日 - 尼崎市は公害病認定患者の保養施設として市立健康の家を猪名川町に開所した。
- 10月29日 - 阪神地区商業者連絡協議会が西武百貨店進出反対大会を文化会館で開き、阪神7市1町の商店主ら1,300名が参加したと報じられた。
- 10月30日 - 尼崎市は市内企業103社との間に工場緑化を目的とする緑化協定を締結した。
- 10月 - 兵庫県立尼崎病院塚口分院が兵庫県立塚口病院として独立した。
- 11月1日 - 尼崎市が休日・夜間急患対策施設として尼崎市医師会の協力を得て設置した尼崎医療センターが、水堂町3丁目にオープンした。
- 11月17日 - 尼崎市長選挙が行なわれ、篠田隆義が当選した(3選)。
- 11月25日 - 昭和通2丁目の尼崎市文化会館敷地内に建設された尼崎市総合文化センターが竣工した。
- 11月30日 - 「公害健康被害の補償等に関する法律」(公害健康被害補償法)にもとづく公害健康被害指定地域が、尼崎市域の69.0%にあたる33.85km2にまで拡大された。
- 12月12日 - 尼崎市長に篠田隆義が就任した(3期目)。
- 12月16日 - 長洲本通2丁目に建設された小田地区会館が開館した。
- この年 - 尼崎市は同和対策後期総合計画策定のための基礎資料を得ることを目的として、市内初となる同和地区の総合的な実態調査を10~11月に実施した。