朝日化学肥料の悪ガス問題
あさひかがくひりょうのあくガスもんだい
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1936年(昭和11)8月1日尼崎市東部の広範囲に刺激性の異臭のあるガスが立ちこめ、それにより中毒症状を起こした住民が重症数十人軽症数千人におよんだ。これは同年開設した初島町の朝日化学肥料の工場での硫酸製造の試験作業で発生した悪ガス(亜硫酸ガス)によるものであった。東部住民からの陳情をうけて、市会は県にたいし悪ガスの除去が確認されないかぎり製造を許可しないことを要請した。しかし県は9月10日設備に欠陥なしと認め工場使用許可証を与え、しかも市会の問題としたり、大衆運動をするのは慎重にすべきだという警察署長の談話が発表された。これに憤激した東部10区の役員230人が有吉實市長に辞表を出す騒ぎとなったので、市長は市会議長・県会議員に調停を依頼し、その結果23日10区の代表者との間に6か条の調停条件により和解が成立し紛争は一応落着した。その後の排ガスははじめのようなはげしい被害はひき起こさなかったが、ながく尼崎市東部の最大の大気汚染源となった。