本百姓

ほんびゃくしょう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  近世初期の尼崎地方では、分家百姓(隠居といった)や家持下人は本家(主家)の屋敷地内に分居していた。その事情を反映して、近世初頭の検地帳に屋敷地を登録していたのは本家百姓であった。尼崎藩はかかる本家百姓を役人として掌握した。この役人が一般にいう本百姓である。役人には屋敷地軒別に夫役が賦課されたから、彼らは所持する田畑の年貢と、夫役と二つながらを負担する、領主に対して十全の資格を備えた農民であった。また、村内にあっては村政や氏神の祭りにおいて村民としての十全の権利、資格を有した。17世紀後半以降本家・分家関係が薄れ、一定以上の高を持てば、分家百姓や柄在家・家持下人も役人に編入されるようになり、役人の性格も階層本位に変わるが、上記の十全の資格を備えた農民は終始役人であり本百姓であった。高を持つ農民がすべて本百姓であったわけではない。

執筆者: 八木哲浩

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