上水道が敷設されるまでの尼崎町(近代)の井戸は、水質が悪く飲用に適さないものが多かった。そんななかで、霊水と呼ばれる本興寺の井戸をはじめ、庄下川以西の広小路付近一帯の井戸は水質が比較的良好であった。このため、1907年(明治40)ころには8軒の水屋があり、本興寺や全昌寺などの井戸水を汲んで全町の約3分の1に巡回販売し、その販売水量は年間約3万石に達した。霊水は特に茶をたてるのに適したと『尼崎今昔物語』は記している。
執筆者: 地域研究史料館
カテゴリ: その他(近代)