本興寺方丈・開山堂・三光堂
(本興寺開山堂より転送)
本興寺塔頭〔たっちゅう〕は、往古は16坊を有したが、1617年(元和3)の尼崎城築城時の移転に際して8坊に減り、現在では6坊となる。現在、南に大門、南北に長い境内地に、東西に塔頭を配し、主要堂宇を囲んでいる。
方丈
境内地の中央に位置する本堂の北にあり、桁行〔けたゆき〕10間、梁間〔はりま〕7間、入母屋造〔いりもやづく〕り、本瓦葺で、建立年代は棟札により1617年と明らかである。その平面はつぎのとおりである。南向きの正面東寄りに玄関、南側広縁に落縁〔おちえん〕、東側に畳敷きの入側縁がつく。内部は6間取りで、南側に3間四方(18畳)の3室、北側に3間の2間半(15畳)の2室および西端に書院つき上段の間1室、北側2室の外側に濡縁〔ぬれえん〕つきとする。この方丈は客殿とも呼ばれていて、戒檀院として使用されたので、元和・慶安の棟札では戒檀院・戒檀精進院としるされている。1974年(昭和49)、重要文化財(国指定)に指定された。
開山堂
桁行9間、梁間3間、一重屋根撞木造〔しゅもくづく〕り、本瓦葺で、正面に1間幅の軒唐破風〔のきからはふ〕をつける。建立年代は1466年(文正元)説、1469年(文明元)説もあるが、1963年(昭和38)の解体修理には1558年(永禄元)と解している。平面的には正面より2間を外陣〔げじん〕、続く3間を内陣、さらに2間を内々陣、続く1間を後陣とし、これらをとりまくように縁が取り付く。さらに、後陣および縁の背面に背面霧除がつく。当初、現在の内陣にあたる3間四方を禅宗様として当堂は計画された。この時、開山日隆上人の入滅後、上人の著作を左右に置き中央に尊像を安置して、御文庫堂と称した。以来、当堂を御文庫堂と称している。その後、1617年(元和3)現在地に移築され、40年経た明暦年間(1655~1658)に現在の外陣および内々陣にあたる部分を増築、さらに1683年(天和3)に後陣を増築して、現在に近い平面となった。開山堂の構造は、次のとおりである。柱は円柱にして上部粽〔ちまき〕つき。柱の上端に頭貫〔かしらぬき〕を通し、隈部木鼻〔きばな〕つきとし、その上に台輪をのせ、この端部も操り形つきとする。頭貫の下方に内法貫〔うちのりぬき〕を通し、この間は壁とする。戸口は内法貫に藁座を釘止めにして開き戸を納める。台輪上には、禅宗様斗組〔ますぐみ〕を柱上およびこの中間にも据え、出組とする。さらに斗組上に実肘木〔さねひじき〕を入れ桁を受ける。内陣の3間堂にあたる軒は二軒〔ふたのき〕の扇垂木〔おおぎだるき〕とし、他は平行垂木とする。また、天井は、内陣中央部は鏡天井とし、この周囲も通り肘木に板を張る板天井、内々陣の中央部も鏡天井とし、この周囲は格天井〔ごうてんじょう〕とする。こうした軸部・軒回り・天井に差が見られるのは、この堂の修理の経緯をかたっていて、この建物を考察するうえでも興味深い。内々陣の鏡天井には龍が描かれている。当堂は、1914年(大正3)特別保護建造物に、1950年(昭和25)重要文化財(国指定)に指定された。
三光堂
現在、境内の南西隅に東面して建つ三間社流造〔ながれづく〕り、正面軒は唐破風につき、銅板葺の建物である。建立年代は明らかでないが、構造および様式からみて室町時代後期と考えられる。1617年(元和3)、本興寺の他の建物とともに現在地に移築され、1684年(貞享元)の修理時に屋根が瓦葺に変更されたようである。屋根は1951年(昭和26)の工事の折に檜皮葺〔ひわだぶき〕型銅板葺に改められ、1984年の屋根葺き替え時に木部の彩色が復原され、今日に至っている。社殿は正・側3面に縁高欄〔えんこうらん〕をめぐらし、側面縁の後端に脇障子を設け、正面に6段の木の階段をすえ、階段両わきに登〔のぼり〕高欄がつく。木の階段の外、正・側3面に浜縁をつくる。主屋柱は円柱。正面3間のうち中央間を広くとり、梁間は2間にわけて後半を内陣とし、内法長押〔うちのりなげし〕・頭貫をめぐらし、頭貫端には木鼻がつく。斗栱〔ときょう〕は出三斗〔でみつど〕実肘木つきで、妻では頭貫・木鼻を利用して連〔つれ〕三斗にして桁をうけ、正面中備〔なかぞえ〕に蟇股〔かえるまた〕を入れる。ただし妻中央柱上の斗栱は平三斗にして、前方へ象鼻〔ぞうばな〕を出す。庇柱は面取り角柱で、両脇柱の柱頂間に虹梁〔こうりょう〕をかけ、虹梁端を木鼻とし、出三斗斗栱をのせる。両端柱上では頭貫・木鼻を利用して連三斗にして桁をうけるが、肘木・桁に面をとる。また斗栱上から主屋柱頂に海老肘梁をかけてつなぎ、中央2柱では後方へのびる肘木を上方に折り曲げ、菱型の斗をのせ手狭〔たばさみ〕をうける。手狭先は前方にのびて正面軒唐破風の菖蒲桁〔しょうぶげた〕となり、庇正面中央間では頭貫を用いず、両脇柱上の斗栱上に虹梁をのせ、向唐破風〔むかいからはふ〕屋根をうける。主屋妻飾りは二重虹梁大瓶束〔たいへいづか〕で、大瓶束上には実肘木つきの挿〔さし〕肘木で梁・桁をうけるが、前方に出る挿肘木は木鼻形とし、上下虹梁間中央に蟇股を入れる。軒は二軒繁垂紀〔ふたのきしげだるき〕、庇垂木は面取とするなど、当堂は中世末から近世初頭の寺社建築の常として装飾的要素の豊な建物である。1914年特別保護建造物に、1950年、重要文化財(国指定)に指定された。
開山堂・三光堂が1914年(大正3)に指定された「特別保護建造物」は、1897年(明治30)公布の古寺社保存法の定めによるものである。特別保護建造物は、1929年(昭和4)公布の国宝保存法により「国宝」となった。1950年に文化財保護法が公布・施行されると、従来の「国宝」(旧国宝)は国指定の重要文化財となり、そのうち文化的にとくに価値の高いものが「国宝」(新国宝)として指定されることになった。