札牛

ふだうし
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  18世紀に入って武庫平野の諸宿駅で公用継立てにあたる駅馬が不足するようになった。それを補うものとして、延享年間(1744~1748)と思われるが、駅馬に代わって農民の牛馬が公用の継立てに当たるようになり、その代償として、これらの牛馬は年の200文を納めて農民荷物や商人荷物を運送して駄賃かせぎができるようになった。この牛馬を札牛といった。尼崎神崎伊丹昆陽西宮・生瀬・小浜など近隣の諸駅が協定して実施し、打越口銭1駄につき8文を納め、これらの駅所を互いに付け通して稼動した。

執筆者: 八木哲浩

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