東園田遺跡

ひがしそのだいせき
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  市域の北東部、東園田町1,2丁目にあり、猪名川によって形成された沖積地の標高約3mのところに立地する。1971年(昭和46)12月の緊急発掘調査以来、数次の調査が実施されている。遺跡は、弥生時代後期から奈良時代までの複合遺跡である。遺構は、弥生時代後期から古墳時代初期(庄内平行期)にかけての、溝状遺構、土杭が確認されている以外不明な点が多い。古墳時代のものとして6世紀後半から7世紀前半の掘立柱式建物6棟のほか、溝状遺構、井戸跡、土杭などが検出されている。遺物は、弥生式土器、土師器〔はじき〕、須恵器〔すえき〕、石器、木器のほか滑石製紡錘車〔ぼうすいしゃ〕、軽石〔かるいし〕、土錘〔つちおもり〕が出土している。なお尼崎市内において、完形品の庄内式土器が初めて出土したことは注目される。土師器・須恵器は、時期的に5世紀後半~8世紀にわたっているが、建物群及び溝状遺構にともなう時期の6世紀後半から7世紀前半のものが多い。市内における古墳時代の建物群が確認された意義は大きい。

執筆者: 橋爪康至

  2003年(平成15)4月から8月にかけての第29次発掘調査により、約2000年前のイイダコ壺490個が出土した。地面にまとめて置かれた状態で大きく4つのグループに分けられ、各グループの壺が縄で繋がれていたと思われ、漁で使われた単位のグループであると考えられる。うち1個のイイダコ壺にシカと斜格子が描かれている。シカは躍動する姿が写実的に描かれており、斜格子は海、川等の大きなものを表現したものではないかと考えられる。シカが描かれたイイダコ壺の出土例は全国で唯一であり、弥生時代におけるイイダコ壺漁の実態解明に迫る貴重な事例である。また、2012年(平成24)9月から2013年2月にかけて行なわれた第41次発掘調査により、新たに弥生時代後期(2世紀頃)から古墳時代前期(4世紀頃)の竪穴式住居15棟、掘立柱式建物10棟、井戸4基及び土器、土師器〔はじき〕、須恵器〔すえき〕、石器など大量の遺物が発掘された。さらに、市内初の出土となるほぼ完全な形の大型石包丁が出土したほか、弥生時代中期の落ち込み状遺構及びややまとまった土器が検出された。このことから、この集落の始まりは弥生時代中期までさかのぼるのではないかと考えられる。

執筆者: apedia編集部

参考文献

  • 『尼崎市東園田遺跡』尼崎市文化財調査報告12 1980

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