東武庫遺跡
ひがしむこいせき
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
市域の北西部、武庫町51、52にある。尼崎市の西側、西宮市との境を流れる武庫川から東約1km、武庫川によって形成された沖積地の微高地に立地する。弥生時代の推定海岸線から北約2kmある。1988年(昭和63)11月と1989年(平成元)6月に確認調査と発掘調査が行なわれ、弥生時代から鎌倉時代までの複合遺跡であることが確認された。遺構としては、弥生時代前期の壺棺墓〔つぼかんぼ〕が出土し、市内遺跡での弥生墓の新たな資料を提供した。そして奈良時代後半から平安時代初頭に属する東西3間、南北5間以上の比較的規模の大きい掘立柱建物とピット群が検出された。また平安時代中期から鎌倉時代前半のピット群も検出された。遺物は、弥生土器、須恵器〔すえき〕、土師器〔はじき〕、陶磁器のほか、黒色土器、瓦器〔がき〕などの土器類と石器、鉄器(鎌)、土錘〔つちおもり〕、砥石〔といし〕、柱(ヒノキ・アスナロ)などが出土している。
1993年1月の調査で、武庫元町1丁目において新たに弥生前期と中期初めの方形周溝墓10基が見つかった。前期の方形周溝墓群は全国的にも類例が少なく、墓制の発生を明らかにしていく上で貴重な発見。また、木棺の一つから出土した赤漆の櫛は時期的のも珍しく、また木棺からの出土は初めての例である。
参考文献
- 『尼崎市東武庫遺跡』兵庫県文化財調査報告書84 1991