1919年(大正8)ころ園田村猪名寺の北端に接して伊丹町域に開業した東洋リノリューム工場では、その煙突から発散する臭気がひどいので、1921年10月31日猪名寺では村集会を開き防臭措置を講ずるよう会社に要求することを決め、代表者が交渉をくり返し行なった。この付近の住宅地となるべき9,000坪の地価は1坪10円以上であったのが悪臭のため2円も下落したとしてその損害補償を要求したが、会社側は応じず、また防臭設備もできず、結局翌年2月とりあえず1年分の慰藉料として猪名寺住民に300円支払う(翌年以降はさらに協定する)ことで一応解決した。
執筆者: 山崎隆三