東浜新田
ひがしはましんでん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
西高洲新地の地先、碇の水尾と蓬川の間に開発された新田。尼崎藩領。1765年(明和2)高入れされた。1842年(天保13)には地先の葭床場開発が計画され、嘉永年間(1848~1854)ころようやく道意新田・東新田の同意を得て開発が進められ、1861年(文久元)西御見立新田として10.761石が高入れされた。
1880年(明治13)に大洲村の一部となり、1930年(昭和5)の町名改正で大洲村が消滅、東浜町となった。これより先1919年(大正8)には永小作権をめぐる地主・小作間の紛争を尼崎土地が示談にまとめ、西高洲新地とともに買収に成功、大正年間には阪神電鉄東浜発電所・日本電力尼崎火力発電所(のち日本発送電尼崎東発電所)が建設され工場地帯化していった。