栗山庄下川遺跡

くりやましょうげがわいせき
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  市の中央部やや西北、庄下川にかかる上生島橋と生島橋の間の川床を中心に広がる遺跡で、標高約2.2mの沖積地に立地する。1959年(昭和34)、兵庫県施工の庄下川改良工事に遺物が発見され、緊急発掘調査が行なわれたが、川底でもあり、また梅雨期の調査のため、遺物の取り上げと土層の確認にとどまっている。遺物は、弥生式土器、須恵器〔すえき〕、土師器〔はじき〕、瓦器〔がき〕、黒色土器、羽釜〔はがま〕、土錘〔つちおもり〕、面子〔めんこ〕、塩壺、石器、滑石製石鍋、皇朝十二銭(承和昌宝)など弥生時代から近世までのものが出土している。遺構は不明である。平安時代の830年(天長7)生嶋勅旨田が開かれたことが「日本逸史」にみえ、この地域に皇室領の初期荘園がつくられたと考えられる。出土した遺物にはとくに承和昌宝のような一般の遺跡での出土の少ないものがあり、この遺跡が一地方の農・漁村といえない一面をうかがうことができる。

執筆者: 橋爪康至

参考文献

  • 『尼崎市栗山・庄下川遺跡、桂木遺跡』尼崎市文化財調査報告9 1974

関連項目

案内
広告
検索

  
ヘルプ
ツール
索引