桜井忠剛
さくらいただかた
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1867年(慶応3)4月7日 - 1934年(昭和9)10月15日
官選初代の尼崎市長。在任期間は1916年(大正5)8月11日~1922年5月18日・1928年(昭和3)2月2日~1934年10月15日。なお1905年(明治38)9月14日~1910年3月2日の間は尼崎町長、1916年4月1日~8月10日は市長臨時代理。
旧藩主桜井家の一門で、実業家・大阪高等商業学校教諭などの経歴を持つ。明治末から昭和初期にかけて、市制施行・工業化の進展など尼崎が都市化していく時期の町長・市長を務めたが、在任中に病没した。温厚の士として知られる。洋画を川村清雄に学び、天華と号して各地の博覧会・共進会に作品を出品するなど画家としても活躍した。