植木野組
うえきのぐみ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1769年(明和6)宍粟〔しそう〕郡31か村が尼崎藩の飛び地領になったとき、おおむね揖保川流域20か村と千種川流域11か村に分けられ、植木野村塚本八郎左衛門が揖保川筋村々の大庄屋となり植木野組と称した。所属の領村は上町〔かんまち〕・中町・野々上・清野〔せいの〕(現宍粟市山崎町)、植木野・東塩野・三坂・狭戸〔せばと〕(現姫路市安富町)、伊和・安黒〔あぐろ〕・深河谷〔ふかたに〕(現宍粟市一宮町)、安賀〔やすが〕・有賀〔ありが〕・皆木〔みなき〕・小野・下小野・日見谷〔ひみだに〕(現宍粟市波賀町)、下三河・下野・漆野(現佐用郡佐用町、旧佐用郡南光町、当時は宍粟郡)、計20か村。1773年(安永2)3月塚本氏は退役、伊和村土居七郎右衛門が引き継ぎ伊和組となった。植木野組の記録は土居家文書の中に若干残るに過ぎない。
参考文献
- 宍粟郡領主記『ふるさと安富』 1984 宍粟郡安富町