椎堂
しどう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
「しど」とも発音する。園田地区の大字。市域北東部、猪名川と藻川の間に位置する。本居宣長『古事記伝』(1798)は古代氏族の椎田君の居地と推定している。『摂津志』によれば中世には椋橋西荘の荘域であった。史料上の初見は1594年(文禄3)『椎堂村検地帳』(『尼崎市史』第5巻)。
近世初期には村の大部が幕府領または大坂城代領、極小部が1598年(慶長3)旗本大島氏(光義系)の知行所、1637年(寛永14)幕府領。1692年(元禄5)全村幕府領となり、1694年武蔵国忍藩阿部氏(忠吉系)の領地、1823年(文政6)幕府領となった。村高は「慶長十年摂津国絵図」に359.065石、(ただし村名は判読不能)、「元禄郷帳」に373.183石、「天保郷帳」に377.8535石とある。また1751年(寛延4)「椎堂村差出し帳」(『尼崎市史』第5巻)には百姓本人37人・水呑百姓5人・ほか6人、1858年(安政5)「椎堂村村方模様書上げ帳」(『尼崎市史』第6巻)には家数41軒、人数207人とある。三ツ又井組に属した。氏神は十九〔とく〕神社(近世には十九社明神)、寺院は浄土真宗本願寺派吉祥寺。
1889年(明治22)以降は園田村、1947年(昭和22)以降は尼崎市の大字となった。1987年の住居表示により椎堂となったほか、一部が東園田町となった。