楊津・柳津河尻荘

やないつ やなぎつかわじりのしょう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  平安時代から戦国時代にかけてあった荘園。橘御園のうち。本荘の楊津荘は猪名川沿いの現猪名川町木津あたりに位置し、新荘の河尻荘は猪名川が神崎川に合流する地点に立荘されたものと思われ、平安時代の1176年(安元2)の八条院目録に柳津川尻とあるのが初見(内閣文庫所蔵山科家古文書)/平安遺文)。柳津光貞名は、橘御園(1369年・応安2の史料)とあり、いずれも神崎から戸之内西川あたりと推定できる。戦国時代には興福寺の支配下にあったが、戦略上重要な場所であったため、しばしば武士の侵略を受けた。

執筆者: 田中勇

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