樽谷冨蔵
たるたにとみぞう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1895年(明治28)11月15日 - 1976年(昭和51)12月26日
園田村の大字穴太(現尼崎市東園田町4丁目)の豪農村田市松の4男として出生。1919年(大正8)1月、尼崎製函合名会社を経営する樽谷為三郎の婿養子となり、同社に入社。1922年(大正11)7月別に樽谷冨蔵商店を創立して紙函製造業を始め、現在の総合包装業、樽谷包装産業(株)の基礎を築いた。日本製函工業組合連合会理事長(戦前)、クラフト紙袋工業組合理事長(戦後)等の要職にあって業界の発展につとめる一方、尼崎商工会議所会頭をはじめ尼崎納税協会会長、尼崎経営者協会常務・総務理事、兵庫県防犯協会連合会副会長等多数の公職につき、産業経済の振興などに尽くした。とくに会議所会頭時代には尼崎防潮堤工事促進後援会会長として募金活動の先頭に立って工事の促進を図った。また、1976年(昭和51)10月から尼崎商工会議所商業活動調整協議会会長として尼崎市都市再開発事業である塚口さんさんタウンや西武百貨店関西の進出問題の調整につとめたが、志半ばにして病に倒れた。1968年3月、松尾高一とともに尼崎市名誉市民の称号を受けた。
参考文献
- 『「和恩」-樽谷冨蔵八十年の軌跡-』 1977 樽谷包装産業(株)樽谷清一
- 『樽谷包装産業株式会社80年史』 1989