武川ゴム争議

たけがわゴムそうぎ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1920年(大正9)3月竹谷新田で操業開始した武川ゴムでは、翌1921年6月団体交渉権の確認・解雇手当制度化・男子全員請取制を要求して152人中51人がストに入ったとの記録があるが、激烈な争議で知られる同社争議は、1931年(昭和6)3月11日会社が不況を理由に賃金引き下げを提案したのが発端で起こった。4月1日は交渉決裂、全労阪神地方連合会の支援でストに入った。全協日本化学労組分会も組織され、同月14日前田浩・福島玄・鶴五三が阪神電鉄出屋敷駅で武川社長に硫酸を浴びせるなど過激な戦術も駆使された。寺院などに籠城して頑強な闘争を展開したが、デモも資金集めの行商も禁止されるなど警察の弾圧も激しく、検束拘留66人・入獄2人を出し、当初520人の争議団は130人に激減、要求一部承認、解雇45人などの条件で解決した。翌1932年2月この争議で約束した解雇手当制定を会社が放置したため全労の応援で再びストに入った。3月13日のデモは80人中40人が検束され、その夜の奪還デモは全員検束の弾圧を受けるなど依然弾圧が厳しく、警察署の調停で27人の解雇を承認して終結した。

執筆者: 久保在久

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