武庫井組
むこゆぐみ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
武庫井を利用する井組。常吉村を井親とし、西武庫・東武庫・生津村を井子とした。井組の結成は江戸時代に入る前と推測される。1654年(承応3)に生島井組の新溝掘り立てに反対していること、貞享(1684~1688)ごろすでに「古例井法」と称する井組内の協約を保有していること、井親と井子の差別が明確であることなど、いずれも井組結成時期が古いことを示している。しかし、この井親・井子の古い関係は、1712年(正徳2)の武庫川大洪水を契機に変化することとなった。1742年(寛保2)・1743年の井親常吉村と井子3か村との水論を経て、分水法・井掛かり費用負担などの割合基準が村高から井掛かり高に変更され、井親の井子村々に対する優越性が消滅した。