武庫川市構想

むこがわしこうそう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1939年(昭和14)10月大庄武庫両村がそれまでの西宮警察署管区から尼崎警察署管区に移ることになり、これを契機としてかねて懸案の両村と尼崎市との合併が促進される情勢となった。しかしこれに反発して両村の側では武庫川対岸の鳴尾・瓦木両村と合併して新市をつくるという構想が生まれてきた。他方鳴尾・瓦木両村でも西宮市との合併案に反発する空気があり、その結果この4か村合併による新市案が浮上したのである。翌年5月には新市の名称を武庫川市とすることが公表され、大庄・鳴尾の工場地帯と瓦木・武庫の風致・住宅地帯との組み合わせで発展性のある10万都市の誕生が期待された。しかしながら、当時政府・県の方針は市町村の大合併をすすめる方向にあって阪神間に小都市の新設を認めなかったので、この武庫川市構想は実現せず、武庫川を境としてそれぞれ尼崎・西宮両市との合併が実現した。

執筆者: 山崎隆三

参考文献

  • 『都市公論』 1940.6

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