武庫庄

むこのしょう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  地元では「むこんしょ」と発音している。武庫地区の大字。市域北西部に位置する。弥生時代武庫庄遺跡がある。中世の武庫荘の中心地であったと考えられる。史料上の初見は1190年(文治6)「内宮役夫工科未済注文」(吾妻鏡/『尼崎市史』第4巻)。

  近世初期には幕府領1617年(元和3)尼崎藩領となった。村高は「慶長十年摂津国絵図」に222.7石、「元禄郷帳」「天保郷帳」に325.691石とある。また、天和貞享年間(1681~1688)「尼崎領内高・家数・人数・船数等覚」(『地域史研究』第10巻第3号)には家数32軒、人数147人、1788年「天明八年御巡見様御通行御用之留帳」(『地域史研究』第1巻第2号・第3号)には27軒、119人とある。富松井組に属した。氏神は須佐男神社(近世には牛頭天王社)。ほかに春日神社があったが1907年(明治40)須佐男神社に合祀された。

  1889年(明治22)以降は武庫村1942年(昭和17)以降は尼崎市の大字となった。1978年の住居表示により武庫之荘本町となったほか、一部が武庫之荘・武庫之荘東となった。

執筆者: 地域研究史料館

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