1889年(明治22)4月の町村制施行によって、当時の常吉組戸長役場管轄区域(西昆陽・常松・時友・友行・常吉・西武庫・東武庫・武庫庄・西富松・生津・守部の11か村)がそのまま武庫村となった。人口は2,965人(1889年末)、村役場は常吉村の旧戸長役場におかれた。1937年(昭和12)阪急電鉄は武庫之荘駅を開設し、その周辺に住宅地を開発したので人口も漸増したが、1942年2月11日尼崎市と合併した当時もようやく1万900人にすぎず、全体としてはなお純農村地域であった。
執筆者: 山崎隆三
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