武庫郡
むこぐん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
摂津国の郡の一つ。東は蓬川から西はほぼ夙川(現西宮市)まで、南は大阪湾に面し、北は有馬郡・川辺郡西北部にいたる。「和名抄」によると賀芙・児屋・武庫・石井・曽弥(曽禰〔そね〕)・津門〔つと〕・広田・雄田の8郷からなる。石井・曽弥・津門・広田の4郷は現在の西宮市に含まれ、武庫・雄田の2郷は尼崎市の一部、児屋郷は伊丹市の一部、賀美郷は宝塚市の一部にあたると考えられる。養老令に規定する郡の等級によると、8里(郷)から11里までの郡は中郡であり、大領・少領・主政・主帳各1人からなる郡司が行故にあたることになっていた。「統日本紀」の天平神護2年(766)9月条に、摂津国武庫郡大領で従六位上の位をもつ日下部宿禰浄方が銭100万、椙榑〔すぎくれ〕1,000枚を献上して、外従五位下を授けられたことがみえる。浄方はこの地方でももっとも有力な豪族として郡の大領(長官)に任ぜられたのであろう。
近代の武庫郡は、1896年(明治29)に武庫・菟原〔うはら〕・八部〔やたべ〕の3郡を合併し拡大したが、1954年(昭和29)良元村の宝塚市合併により自然消滅した。
参考文献
- 『西宮市史』第1巻 1959