共産党系が主導権を握っていた産別会議のなかで、2.1スト中止後の1947年(昭和22)10月ころから生まれた共産党系に反対する潮流。種々のグループがあり産別民主化同盟と総称、民同の略称で呼ばれた。1950年のレッド・パージなどを通じて労働運動の主導権を握り、同年7月の日本労働組合総評議会(総評)の結成につながった。尼崎でも民同派の台頭により、1949年9月に産別尼崎地区会議が解散、かわって結成された尼崎全労協も、レッド・パージ、電産争議、大谷重工争議などを通じて民同派が勢力を伸ばすなか、1952年10月に尼崎地方評議会へと発展解消した。
執筆者: 地域研究史料館