水堂井を利用する井組。水堂・七松・西難波の3か村で組織する。井組の成立時期は不明。1669年(寛文9)七松村の井溝に西難波村のものが狼籍したとの訴状・裁許状によると、七松村は水堂井・生島井より水を取り、西難波村は守部村の悪水を中之郷井口より取るようにとある。七松村の悪水を西難波村が受け、1町6反の田地を養っているともあるが、不安定な状況を感じさせる。また、1718年(享保3)に裁許のあった武庫・水堂井の争論の場にも、水堂・七松村の村名のみで西難波村は加わっていない。同じ井筋の水を上・下流で利用しているのであるが、井組としてまとまった時期は不明である。
執筆者: 山下幸子