池田勝正
いけだかつまさ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
生没年未詳
戦国時代末の摂津の国人。摂津池田の城主。1565年(永禄8)には本興寺と同寺西門前に禁制を下すほどに成長した。1566年5月足利義栄入洛の先陣篠原勢に対しては、越水城に籠城して抵抗した。1568年将軍足利義昭を奉じて入洛した織田信長にはついに降ったが、本領安堵のうえ摂津の守護に任じられた。同年12月信長の留守をついて巻き返してきた三好三人衆が、義昭を京都の本国寺に攻めたとき、伊丹親興・和田惟政とともに助けた。1570年(元亀元)同族の内紛により池田城を追われ、残った一族も1574年(天正2)信長の命を受けた荒木村重に滅ぼされて、伊丹・池田・和田の3氏、摂津の三守護はすべて没落した。
参考文献
- 森田恭二「戦国期の摂津国人と細川氏」『地域史研究』第23巻第2号 1993