池田城
いけだじょう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
ほぼ14世紀中ごろから16世紀後半まで国人領主池田氏によって豊島〔てしま〕郡池田(現池田市城山町)に築かれていた中世城郭。1968~1969年と1988~1991年に調査が行なわれた。主郭は標高約50mの高台にあって立地に恵まれ、東から南に幅広い堀を設ける。土塁、庭園を備え、規模は東西約60m、南北約100mを測るが、池田氏の繁栄にともない主郭の東部および南部に連郭式に曲輪を配し、屈折する数条の堀と谷が各区画を囲む。全城域の規模は東西330m、南北550m。最盛期には街道をも取り込んでいる。幾多の戦乱で災禍をくり返し数度の改修をみるが、1568年(永禄11)織田信長との戦い以後池田氏の衰運とともに廃れたと思われる。
参考文献
- 島田義明他「池田城」『日本城郭大系』第12巻大阪・兵庫 1981 新人物往来社
- 池田市教育委員会『池田城跡・主郭部発掘調査概要報告2』 1991
- 池田市教育委員会『池田城跡・遺跡発掘事前総合調査概要報告』 1992