1564年(永禄7) - 1613年(慶長18)正月25日
池田恒興の子。1580年(天正8)荒木村重謀反のとき、父とともに華熊城を攻めた。終局のあとから1583年まで尼崎城に居住。関ヶ原の役では徳川方について功をあげ、播磨国の領主となって姫路城を築いた。1610年(慶長15)尼崎郡代建部光重死去のとき、子の建部政長が幼少であったために、跡職相続の許可が危うい状態であったが、外祖父の立場から徳川家康に取りなしを頼み、政長は豊臣氏郡代職の相続を認められた。
執筆者: 山下幸子
カテゴリ: 人名(近世)