沖積層

ちゅうせきそう
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
沖積層南北断面柱状図
沖積層南北断面柱状図

  もともとの意味は、現在の河川や海岸にそってできた最も新しい地層といったものであったが、地域によりいろいろな内容に使われている。尼崎地域に即していえば、伊丹礫層の上に堆積し尼崎平野をつくっている地層ということができる。その主体となっているのは尼崎粘土層で尼崎平野下に広く分布するが、その下位にくる伊丹礫層との間にところどころ川筋状の切れ込みがあり、その中は植物遺体層を多く含む砂礫層で埋積されている。この部分はほぼ武庫川猪名川の川筋と一致し、尼崎粘土層の堆積する以前に、伊丹礫層を削って、これらの川の前身である古武庫川古猪名川が流れた跡であることがわかる。年代的にみるとその時代は約2万年前から1万年前までで、その後に急速に海水面が上昇し、尼崎粘土層が堆積した。これが縄文海進である。

  その後海水面がやや低下するとともに、武庫川などの三角州が発達し、海岸線が前進して平野に面を造ったのである。この時武庫川尻では、六甲山地から武庫川が運搬してきた大量の砂礫によって三角州ができ、厚い砂礫層が堆積したが、それより東寄りの猪名川神崎川河口にかけては、花崗岩〔かこうがん〕質の砂礫の供給がなく、泥質物を沈殿した。そして武庫川尻より供給された砂により海岸線に平行な砂堆の列ができ、それらが沖に向かって前進しながら離水していくという形をとった。尼崎粘土層より上の地層を沖積層上部、それ以下を沖積層下部と呼ぶ。大阪湾底に堆積している最も新しい地層も、沖積層と呼ばれている。沖積層の厚さは、尼崎港や武庫川尻では30mに達するが、北に行くほど薄くなり阪急神戸線あたりで消滅し、代わってその下位にあった伊丹礫層が地表にあらわれ伊丹の台地をつくることになる。この傾向は大阪湾の方向に傾く伊丹台地をおおうようで、海水面の上昇(縄文海進)によって沖積層が堆積したからである。

  地質学的にいうと、沖積世・洪積世という年代名はもはや使われていない。前者に対しては完新世、後者に対しては更新世あるいは最新世という年代区分が用いられるが、その境界は1万年前となっている。したがって尼崎粘土層以上が完新世層ということになる。土質工学的には沖積層・洪積層という用語がしばしば用いられるが、これは上記の定義とほぼ一致する。

執筆者: 藤田和夫

参考文献

  • 藤田和夫・前田保夫「大阪平野北西部(尼崎地域)の沖積層とその基底」『第四紀研究』 5 1966 日本第四紀学会
  • 前田保夫『縄文の海と森』 1980 蒼樹書房
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